最近楽しい事の話。
9月という曖昧な気候に慣れないまま、気が付けばあっという間に秋の風を感じるようになってしまった。
前回、春ごろに書いたブログでも言及していたさすらいの元公認会計士のブログを、僕はいまだに毎日楽しみに拝読している。
若くして経済界から身を引き、現在は高原の隠れ家にて自邸の庭を刈りながら同ブログを執筆。
時おり繰り出される世の中に対しての切れ味抜群の指摘は、僕の興味を掴んで離さない。
言葉というのは本当に面白いと感じることがある。
僕らは社会に出ると、「結局、言いたい事はなんなの?」「まずは結論から言ってくれ」としきりに言われるようになる。
ビジネス上での意思疎通を円滑にするという一点に置いては、その指摘は正しい。
この要求に対応する為の手法としては、いわゆるロジカルシンキングなどと呼ばれるような論理的思考を基とした言葉になるのだろう。
一方で、情緒的な価値を求められる場面においては上記のようなアプローチでは簡潔過ぎる側面がある事もまた周知の事実だ。
趣のある言葉選びや文体の組み立てなどによる多彩な表現が必要となる事が想像されるが、読み手の好みに左右されてしまう事もままある。
その点、前述のブログの構成は、枠組みは非常にロジカルであると同時に文体のリズムを大切にした文章であり、読んでいて非常に心地良いものを僕は感じている(時に、良き日本語の作法とされている事柄を無視する事もあるが、リズムをより重要なファクトと認識して意図的に崩している場合がほとんどである)。
硬質な文章のみが『可』とされるビジネスシーンのような場がある一方で、趣深い文章が人々の心を動かす事もある。
それらと同時に、その両方が色濃く出ているものにも需要があるという事を身をもって感じることが出来たことは、自分自身にとってさらに文章が面白く感じるようになったきっかけであったとも言える。
そういえばふと思い出したが、10年ほど前に日本を代表するスペイン文学者である木村栄一先生に聞いてみた事がある。
「お店のブログ当番で何を書けばいいかわからなくて、毎回苦しくて仕方がないんです、、、。」
今思えばなんて事を聞くんだという内容なのだが、先生から快くいただいた返答は次のような感じだった。
「自分が書きたいと思うことを好きに書けばええねん。例えば、趣味の話とか好きな本の話とか。ただし、わざわざそれが“良い”とか“素晴らしい”とかは書く必要はないけどな。そもそもブログに取り上げてる時点で読者にとっては徳川君がそれを気に入ってるって事はわかってるわけやから。自由でええ。」
その頃から僕は、少しずつ文章を書く事が好きになっていった。
こうして考えてみると、数々の出会いや刺激をきっかけとして、自分の思考も次々とアップデートされてきた事がわかる。
これはヘアデザインにおいてもそうだし、もっと広義の意味での仕事観のようなものについてもそうだと思う。
自分にはちょっとした目標、というか志のようなものがあるが、実はそれらが本当に社会にとって正しいのかはよくわからない。
これもまたこれから数々の対話の中で練り上げられていくべきものなのだろう。
美容師としてどう生きるのかという事と合わせて、それ以前に社会の一員として世の中とどう関わっていきたいのか。結構真面目にそんなことを考えていたりする。
“1%FOR THE PLANET ”
ありがとうございました。
徳川虎志郎